鳴尾100年史海浜の荒地、競馬場跡から始まった
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2019/12/24号
2020/01/15更新

鳴尾100年史海浜の荒地、
競馬場跡から始まった

 日本有数の長い歴史を持つ鳴尾ゴルフ倶楽部が2冊の“100年史"を上梓する。これを機会に同GCの歴史もたどってみよう。

鳴尾GCの生みの親、W・J・ロビンソンと孫の緑さん

 1冊は写真集でタイトルはは「NARUO LINKS」。過去と現在のコースの季節折々の佇まいを映し出す写真を載せている。今年中に刊行。

 もう1冊は読み物で、タイトルは未定だが“スピリッツというワードが入りそうだという。来年春頃の刊行予定。今回の刊行について同GCのキャプテンは「これまで40、50、70年史を発刊しました。そしていよいよ来年開場100年を迎え、その歴史のエピソードを記録と記憶に残し、後世のメンバー、従業員へ伝えたいというのが動機です」と語る。

 同GCの歴史を簡単に紐解くと……。日本でもっとも古いのは神戸GCだが、同GCは六甲山に位置しているため冬はクローズする。そこで、冬でもプレーできるコースをと発足したのが6ホールの横屋ゴルフアソシエーション(現・神戸市魚崎)で、1904年のことだ。開祖はW・J・ロビンソン。豪州生まれの英国人で貿易商社の支店長。神戸GCの開祖、A・H・グルームの仲間だ。

 1914年には横屋から海浜の荒地、競馬場跡へ移転、鳴尾ゴルフアソシエーションを設立したがその後、解散。1920年に同地に会員38人が「鳴尾ゴルフ倶楽部」(浜コース)を設立したが、母体である鈴木商店が倒産し、立ち退きを求められる。そこで1930年、猪名川の山地に15万坪を探し当て、H・C・クレーンの設計で9ホールを開場(山コース、後18ホール)。工事は全て人力だった。

 1931年、廣野GCの新設で来日していたC・H・アリソンが視察。改修を勧告して実行し、現在の形となっている。

 戦争中は軍に接収されていたが、敗戦後、1949年に18ホールすべてが復旧開場した。

 鳴尾をして特異たらしめているのは、1930年の人力工事のまま、日本ゴルフ黎明期の原風景が残っていることだろう。

 コース設計家の川田太三氏は写真集に「鳴尾が素晴らしいのは、連続で同じ向きのホールがなく変化に富むことだ。打ち上げのパー3など鳴尾の自然環境に合ったデザインと造形に、設計の原点と倶楽部の誇りを感じる」と賛辞の言葉を寄せている。

  
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