P・ダイ逝去。トップアマ妻と二人三脚のおしどり設計家
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2020/2/04号
2020/02/05更新

P・ダイ逝去。
トップアマ妻と二人三脚のおしどり設計家

 コース設計界の鬼才、ピート・ダイが鬼籍に入った。94歳だった。

さようなら……

 ダイは米国オハイオ州生まれ。5歳でクラブを握り、17歳でオハイオ高校選手権優勝。ロリンズ大学からステーツソン大学へ転校するが、ゴルフに熱中して単位は取得できなかったという。その後、保険セールスマンの傍ら、コース設計の道へ。最初の“作品"は地元での9ホールコース、エルドラドCC。

 妻のアリス(昨年没)は全米女子オープンに出場したほどのトップアマチュアで、コース戦略上のアイデアは彼女から出されている。二人三脚のおしどり夫婦設計家といえるだろう。

 ザ・ゴルフクラブ、ハーバータウンGL、ロングコーブC設計とキャリアを重ねた。ダイが設計家を目指した頃の主流はR・T・ジョーンズJr.に代表されるように、広大なフェアウェイ、大きなグリーン、総ヤーデージも長い、いわばパワーゴルフの舞台としてだった。

 これをガラッと変えたのがダイだった。ザ・ゴルフクラブの会員でもあり、コース設計家でもある川田太三氏は次のように話す。「角度のついた小さなティをいくつか造り、戦略を多様化。またウェイストエリアを多くして、芝に撒く水を可能な限り少なくした。用具の進化にともない戦略性を高めるためリンクステイストを取り入れ、大胆なハザードも多くし、フェアウェイにはアンジュレーションをつけ、ポットバンカーを配置した。そのために枕木を使ったわけです。現在、世界でゴルフが生き残るための概念、サステナビリティ(持続性)を実現させた先駆者であると私は思っています」

 世界をアッと驚かせたのは何といっても、PGAツアー隆盛中興の祖、D・ビーマンの要請で設計したTPCソーグラス(スタジアムコース)だろう。17番の浮島グリーンは奇をてらいすぎだとの批判もあったが、理由はちゃんとあった。(ちなみに浮島グリーンを最初に実現させたのはダイではなく、D・ミュアヘッドによるミッションヒルズCCダイナショアコース18番)。

「スタジアムにするため池を掘り、その土を18番サイドに盛った。その際、グリーンにするだけの土は残した。これが浮島のアイデアになった」

 世界の大地に刻んだコースは450(日本は24 )ともいわれるが、ダイの2人の息子、弟子らの設計も含まれる。08 年、殿堂入りしている。合掌。

  
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