米女子プロ史上”最高„プレーヤーM・ライト85歳で逝く
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2020/3/17号
2020/3/09更新

米女子プロ史上”最高„プレーヤー
M・ライト85歳で逝く

 米女子プロゴルフ史上もっとも傑出したといわれるゴルファーが逝去した。

 その女傑の名はミッキー・ライト。1935年、カリフォルニア州サンディエゴで生まれた。本名はメアリー・キャスリン・ライトだが、男の子がほしかった父親は男性の愛称であるミッキーと呼び、野球を教え、そしてゴルフへと導く。

 才能は瞬く間に開花して、17歳で全米女子ジュニア、世界アマに優勝して、スタンフォード大学に進むが、1年で中退。その後、LPGAツアーに参戦。戦績は偉大の一言。通算82勝、メジャー制覇13回。いずれも歴代2位だが、彼女は絶頂の頃、2年間、体の故障でツアーを中断。それがなければいずれも歴代1位の数字を残したのは確実とされている。

 LPGA賞金女王4回。62を2日間出して、最終日10打差をひっくり返したこともあったが、この62の記録は当時の“超絶記録"。フェアプレーが認められた人に贈られるボビー・ジョーンズ賞も受賞。1976年には世界ゴルフ殿堂入りしている。

 彼女が「完璧」といわれるのはスウィング、人格においても優れていたからだ。人を褒めないことで有名なベン・ホーガンも「男女合わせても彼女のスウィングがいちばん」。175センチの長身から繰り出される男子に劣らない飛距離を誇るワンピーススウィングは、いまも映像に残る。

 人格は「誠実」「高潔」の文言が並ぶ。性格的には派手な言動が苦手で、その戦績ほどには日本では知られていない。ただ引退後はLPGA会長に就任したように、人々からの信頼は絶大だった。

 文武両道の人でもあった。前出のスタンフォード入学、ツアーを一時離れた時はダラスのサザン・メソジスト大学に入り商学を専攻。プロ女王が一学生に戻ったニュースは全米を驚愕させた。

 男女合わせ史上の「グレーテストゴルファー」選出で女子選手としては最高位の9位にランク。彼女の前世代に、五輪で金メダルに輝いたベーブ・ザハリアスがいるが、両者に助言していたハービー・ペニックは「ミッキーがナンバーワン女子プレーヤー」と著書で述べている。

 「打つ前に失敗することを考えない」という名言を遺して、ミッキー・ライトは85 年の生涯を閉じた。合掌。(編集委員 古川正則)

  
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